相撲部屋に必ずあるもの。
それは毛筆(風も含む)で描かれた「看板」。
木製であったり、稀に金属製であったり、縦書きだったり横書きだったり、微妙に変化はありつつも、どんなに近代的なビルの相撲部屋にも必ず「部屋名の入った和風の看板」があるものです。
ただこの相撲部屋の看板、いろいろ大相撲の近現代史を遡ってみても、いまいちはっきりしない部分が多い。いつ作られたのか? 誰が付けたのか? そもそも誰が書いたのか? ・・・最近でこそ、部屋を新設した若手親方が「知り合いの○○さんに書いてもらった」「自分で書いた」など語ってくれるのですが、歴史の長い部屋ほど、あまり記録が残っていないというのが現状です。
これまさに、SONANOのコンセプトである「知らなくても困らないけど、知っているとなんとなくうれしい、よもやま話」じゃないの?と思い、不定期ではありますが、【羽】が個人的に現地に赴きつつ、「看板」を通じて相撲部屋にまつわるサイドストーリーを綴っていこうかなとおもいます。素人調査なので、多々ご容赦を・・・。
題して、相撲部屋「看板」紀行。
初回は、相撲部屋の保守本流である「出羽海部屋(でわのうみべや)」を訪れてみました。
1966年8月に土俵開き(完成)した出羽海部屋は、現存する相撲部屋の建物としては「最古」。
それ以外の記録ははっきりしないのですが、時期的には8代出羽海(元前頭・出羽ノ花)が親方の時代なので、彼が建設し設置した・・・と考えるのがここは妥当でしょう。彼は戦後、蔵前国技館(今の両国国技館の先代にあたる建物)建設の立役者とも言われ、そういった背景からも「これぞ、みんながイメージする相撲部屋」という威風堂々たる佇まいです。残念ながらこの看板を誰が書いたのか、そこまではわからず、どなたかマニアの方や関係者の方でご存知でしたら(今後とも)ご教授をぜひ・・・。
相撲部屋「看板」紀行
其の1 出羽海部屋(東京・両国)
過去に9人の横綱と3人の協会理事長を輩出した保守本流であり、5つある相撲部屋の一門の中でも最も伝統ある出羽一門の総帥。現在の師匠は相撲協会の理事も務める11代、元前頭・小城ノ花で、実弟である弟の高崎親方(元小結・小城錦)も所属。実はあの千代の富士も入門時はこの部屋。