大相撲の歴史において「最強」を証明する記録という記録を塗り替えてきた横綱・白鵬。
彼が現役時代、唯一越えられなかったアンタッチャブルレコード「69連勝」、その記録保持者が伝説の横綱・双葉山定次。
彼がまだ現役バリバリだった1941(昭和16)年、その偉大な実績が認められ、引退前にもかかわらず相撲部屋を興す(正確には「弟子の育成」)ことを許され、その名も「双葉山相撲道場」を立ち上げたのが、現在の「時津風部屋(ときつかぜべや)」のスタートでした。
彼の死後、跡を継いだ弟子には東京農業大学出身者が多く、双葉山直系・・・と呼ぶにはやや心もとない系譜ではあるものの、今も部屋には大きな「双葉山相撲道場」の看板が掲げられており、彼の遺したスピリッツはしっかり継承されていると言えるでしょう。
さて、現在の時津風部屋はというと。
向かって左側に掲げられた「時津風部屋」の看板の文字もなかなか味わい深いですが、ここはやはり入口の上でそれ以上の存在感を放つ道場の看板でしょう!
当然この建物が建てられる前、おそらく双葉山が道場を立ち上げた頃につくられたものだと思われますが、特に資料らしきものはありません。しかし、看板の向かって左端に人の名前のような刻印があったので、おそらくその人物による揮毫ではないかと推察されます。
よく見ると「菅禮之助(すがれいのすけ)」とあります。彼は昭和に活躍した実業家であり、双葉山とは親交の深い人物。相撲への造詣も関わりも深く、かつ俳人としての顔ももっていることから、彼が寄贈、あるいはもしかすると彼が実際に筆をとった可能性も考えられるのではないでしょうか。
数多く存在する相撲部屋の中でも二ツ名を掲げる稀なケース。他の部屋の看板とはひと味もふた味も違う、独特の存在感を放っています。
相撲部屋「看板」紀行
其の3 時津風部屋/双葉山相撲道場(東京・両国)
12代時津風(元横綱・双葉山)継承後、急成長を遂げた時津風部屋ですが、彼の逝去後はなかなかに波乱万丈な変遷を遂げていきます(本稿では割愛)。紆余曲折あり現在は17代時津風(元前頭・土佐豊)が継承。土地は双葉山時代から続いているようですが、建物は2001年築の分譲マンション一体型。