本日訪れたのは、かつて横綱・稀勢の里も所属していた「田子ノ浦部屋(たごのうらべや)」。
揮毫したのは、平成の御代、天皇皇后両陛下のお言葉や親書を執筆する「宮内庁文書専門員」も務め、現代書道研究所理事長も務める書道家、佐伯司朗氏。
2014年に部屋を新築する際、現在の師匠である16代田子ノ浦(元前頭・隆の鶴)が知人の紹介で依頼し揮毫してもらったという看板は、既存の書とはひと味違う彼独特の躍動感ある自由度の高い書体が目を惹きます。佐伯氏の書は、漢字やかなのみならず、アルファベットのデザイン性も採り入れた新たな調和のかたちを志向しているとも言われており、この看板にもそんなモダンなエッセンスが滲み出ているのではないでしょうか。
所在地としては、JR総武線「小岩」駅から昭和通り商店街を抜け、柴又街道に出たあと少し脇に入った小道に、住宅地と完全に一体化したかたちで佇んでいるのですが、この「看板」がなければそこが相撲部屋とは分からないレベル。玄関には親方の本名である「積山(Sekiyama)」の表札も掲げられています。
そんな「相撲部屋」っぽさが薄めな田子ノ浦部屋ですが、その最寄駅「小岩」は都内の中でも相撲どころとして知られる街のひとつ。駅前には当地出身、昭和の名横綱・栃錦の銅像があるのですが、、、
おいおい、あまりに扱いが雑すぎないか・・・?と相撲ファンとしてはちょっと思ってしまうのですが、これも地元に根差しているゆえなのか。なんだか本題の「看板」以上に気になってしまったひとコマでした。。
相撲部屋「看板」紀行
其の16 田子ノ浦部屋(東京・小岩)
旧鳴戸部屋を興した元横綱・隆の里の急逝を受け、当時9代西岩を名乗っていた現師匠が部屋を継承。その後いろいろあって田子ノ浦を襲名するも、さらにいろいろあって急遽建物を出なくてはならなくなり、旧三保ヶ関部屋の跡地に半年ほど仮住まいしたのち、新築した現在の建物に2014年転居。現役時代は怪我に苦しんだが、親方になっても気苦労は絶えず。部屋頭・高安初優勝の悲願が待たれる。。