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猛稽古の舞台は、今も。~相撲部屋「看板」紀行 其の5 八角部屋

アバター画像2023.04.03 12:00

 千代の富士と北勝海。

 昭和の時代、ともに九重部屋で鎬を削った「兄弟弟子」の関係であり、千代の富士の「猛稽古」のおかげで北勝海は横綱になれた、とも言われています。引退後、兄弟子である千代の富士は(白鵬に与えるかどうかで問題にもなった)一代年寄を拒否して「九重」の名跡を継承、一方の弟弟子である北勝海は「八角」を継ぎ、現在の「八角部屋(はっかくべや)」を立ち上げました。

 マンションのような建物のエントランス横に掲げられた看板。こちらは「独立当時の後援会長の知人の書家、故・長谷川耕心(良昭)氏による著」(今回も佐々木一郎氏著『稽古場物語』より引用させていただきました)とのことですが、長谷川氏について調べても詳しい情報はあまり出てきません。一方、当時の北勝海の後援会長と言えば、有名なのがあの「鈴木宗男」氏・・・。時系列が定かではないので断定はできないところですが、可能性は高いのではないでしょうか。

 さて、この八角部屋の建物ですが、実は彼らの師匠であった12代九重(元横綱・北の富士、NHKの解説でも有名な北の富士さんですね)が所有する「旧・九重部屋」の建物を一部改修して使っています。

 あれ? さっきの話で、「九重」って千代の富士が継承したんじゃないの? と思われた方は鋭い。このあたりの事情はちょっと複雑で、まず1992(平成4)年5月に北勝海が引退。当時すでに先代から「九重」を継いでいた兄弟子・千代の富士(13代九重)のもと、部屋付きの「北勝海親方」としてスタートしますが、翌1993年(平成5年)6月に、13代九重が(以前【羽】ブログでも紹介した現在の「ちゃんこ千代の富士」がある場所に)新しく「九重部屋」を建設して移転。その年の9月、北勝海は8代八角を襲名すると、10月にそこから分家独立するかたちで、移転前の場所に「八角部屋」を創設します。つまり2人は師匠から、「九重」の名跡は兄弟子が、建物は弟弟子(所有はあくまで先代のようですが)が、それぞれ受け継いだかたちに。そして先代の12代九重(当時は陣幕親方)は、そのまま八角部屋の所属になりました(その後、退職)。

 なぜこのような流れになったかは諸説あり定かではないですが、いずれにせよ北勝海自身、かつて自分が猛稽古した地で弟子を育成していくことにはこだわりがあったことでしょう。

 今年還暦を迎える8代八角は、定年まであと約5年。彼が師匠をつとめる間に、猛稽古の遺伝子を継ぐ新たな横綱が部屋から誕生すると良いですね。

相撲部屋「看板」紀行
其の5 八角部屋(東京・両国)
八角部屋と言えば、エントランスのガラスが部屋の名前にちなんで「八角形」になっているのも有名。おそらく8代八角がリフォーム時に付け替えたものでしょう。ちなみに八角は江戸時代の力士、八角楯右衛門の名が由来で、彼は大相撲の歴史で初めて「待った」をして力士として伝わっています。

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日々徒然に、書いていけたらと思います。

好きなものは鉄道(乗り鉄)と大相撲、ときどき料理です。
宜しければリュクスな立ち話の寄り道にぜひ。

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