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大横綱が遺した「宝物」たち。~相撲部屋「看板」紀行 其の7 大嶽部屋

アバター画像2023.04.28 12:00

 巨人、大鵬、卵焼き。

 昭和のキッズが好きなもの、ということであの時代を象徴する言葉として有名ですが、その一角、大横綱・大鵬が創設したのが今回訪れた大嶽部屋(旧・大鵬部屋)です。

 第48代横綱・大鵬。ウクライナ人の父を持つ彼は、力士として理想的な体格、やや憂いのある甘いマスク、そしてまさに「王道」と呼ぶに相応しい相撲の型で、歴代横綱の中でも抜群のカリスマ性を誇る人物です。そして当時の最多優勝記録「32」をマーク。多くの力士の憧れ、女性ファンも多く、よく言われる「心技体」のすべてを兼ね備えたまさに「パーフェクトな横綱」でした。

 あまりに「強すぎる」ため、「相撲がつまらない」などと揶揄されることもあったほど。このあたりは全盛期の貴乃花も通った道ですね。ちなみに大鵬のあとに一時代を築いた横綱北の湖は、同じ「強すぎる」でもちょいコワモテな風貌だったので、先程の「巨人、大鵬、卵焼き」になぞらえ、「江川、北の湖、ピーマン」として嫌いな物の代名詞にされたことも。時代とは言え、そりゃあんまりすぎる。。。

 さて、本題に戻ります。大鵬はその功績が讃えられ相撲協会から「一代年寄・大鵬」を授与されます。1971年(昭和46年)に現役引退すると、大鵬親方となり、その年のうちに独立。当然「あの大鵬の弟子になれる!」と入門者が殺到したそうです。順風満帆・・・と思われた大鵬部屋ですが、ほどなくして大鵬は脳梗塞に倒れ、個性派の関取は輩出するものの、残念ながら横綱大関を輩出するまでには至りませんでした。

 そして大鵬は後継者に関脇・貴闘力を指名。娘婿に迎えると、16代大嶽を襲名した義理の息子に部屋を譲り、2004年1月から部屋の名称も「大嶽部屋」に変更となります。この看板は、大鵬と同い年でかつて同じ二所ノ関部屋で同じ釜の飯を食った行司、第10代式守錦太夫による「相撲字(番付表の文字は行司が書いており、そういう意味では最もピュアな相撲の書体です)」。錦太夫は2007年に亡くなっており、看板の新しさからも2004年の変更時に架け替えられたものでしょう(たしか、当日の相撲雑誌で記事を見た記憶が)。

 同時に、「大鵬の部屋」であることを残すため、かつてブログでも触れた「時津風部屋」の「双葉山道場」に倣い、「大鵬道場」の看板もセットで掲げられています。

 その後、16代大嶽は不祥事で退職、大鵬の弟子であった元十両・大竜が17代大嶽を襲名することで部屋は無事存続しますが、ほどなくして大鵬は逝去。強すぎた横綱の晩年は不遇、というケースは珍しくないのですが、大鵬はその光の眩さゆえに影の部分がそのぶんくっきりとしており、そこは本当に惜しまれてなりません。

 とはいえ、4人の孫に恵まれた大鵬。立派な体躯を受け継いだ4兄弟は、長男はプロレスラーに、そして下3人はいずれも大嶽部屋に入門。三男・王鵬が関取になり、今は出世レースで一番手ですが、次男・納谷(鵬山から改名)、四男・夢道鵬もこの地で切磋琢磨を続ける日々。三人の中から横綱は出るのか、そして誰かが「2代目大鵬」を継ぐのか。大嶽部屋の未来はきっと明るいことでしょう。

相撲部屋「看板」紀行
其の7 大嶽部屋(東京・清澄白河)
読み方は「おおたけべや」。土地は大鵬部屋時代から変わらず。娘婿に跡を譲った大鵬は、すぐ隣に「大鵬ビル」を建て、晩年はそこで過ごしていたそうです。同時代に鎬を削った横綱・柏戸とは「柏鵬」と呼ばれるライバル関係にありましたが、前述の言葉になぞらえ、大人の男性が好きなものとして「大洋・柏戸・水割り」という言葉もあったとか。

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日々徒然に、書いていけたらと思います。

好きなものは鉄道(乗り鉄)と大相撲、ときどき料理です。
宜しければリュクスな立ち話の寄り道にぜひ。

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