若貴兄弟の「兄弟子」であり、無類の上位キラーだった関脇・安芸乃島。
引退後、17代藤島を襲名して後進も指導にあたっていましたが、2004年に当時所属していた貴乃花部屋を事実上「破門」され、当時の「高田川部屋」の師匠であった先代の8代高田川(元大関・前の山)が引き取るかたちで「移籍」。同時に16代千田川親方となった彼は、やがて部屋の後継者として2009年に9代高田川となり、晴れて一国一城の主となりました。
その9代高田川が継承すぐの2009年9月、清澄白河に新築したのが現在の「高田川部屋」です。
部屋の扉の上に掲げられた欅の「横看板」タイプ。揮毫したのは、同じ高田川部屋所属で現在「立行司(行司のトップ)」を務める第41代式守伊之助による書。伊之助はもともと先代のファンで、本人に自ら手紙を書いて「裏方でもいいから」と入門を懇願。そんな経緯もあって、先代、そして当代との信頼関係も非常に厚い人物です。衒いのない、ストレートな相撲字に、そんなところもあらわれているようです(ちなみに安芸乃島も師匠であった大関・貴ノ花の大ファンで、親方から勧誘を受けたときは「即答」で入門したというエピソードも)。
ちなみに高田川部屋にはテッポウ柱(テレビなどでお相撲さんが稽古している映像が流れたとき、手を突いて稽古をしている「柱」を見たことがある方も多いのでは。)が5本もあり、それは現役時代猛稽古で鳴らした親方の意向によるものだとか。
破門された弟子を受け入れた先代、その先代を慕って入門した伊之助、そして身長175cmとけして恵まれた体躯ではないものの猛稽古で出世を果たした当代。そんな「一本気」な彼らの想いを受け、今も弟子たちが稽古に励んでいます。
相撲部屋「看板」紀行
其の9 高田川部屋(東京・清澄白河)
かつて貴乃花部屋を破門された(と言われている)9代高田川だが、実は8代高田川もかつて相撲協会の理事選挙で一門の意向に反旗を翻したことで高砂一門を「破門」されており、しばらく「無所属」で活動していたことも。そんなところも、当代とシンパシーを感じた・・・のかもしれない。あくまでいち相撲ファンの想像でしかないのですが。