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大江戸線はゆめもぐらの夢を見るか?

アバター画像2023.05.02 12:00

 上京した多くの地方出身者を悩ませる、複雑な東京の地下鉄事情。

 なかでも魔窟と言えるのが、都内の地下最深部を走る「都営大江戸線」。

 すでに網の目のように張り巡らされた都内地下鉄の中を、まさに「網の目をかいくぐるかのように」一番後に建設されたため、ホームにたどり着くまでに地下深くまで降りていかなくてはなりません。それだけでも大変なのに、さらに混乱するのがその路線図。

 俗に「6の字型」と言われるように、起点となる都庁前駅から、飯田橋や両国、大門、六本木などを経由してぐるっと一周する「環状部(山手線のイメージですね)」と、その都庁前駅から練馬を経て「光が丘」駅まで1本線で伸びる「放射部」の2つからできているため、運行形態は「都庁前から一周してまた都庁前に戻ったらそこから光が丘に向かう(あるいはその逆)」という複雑怪奇なことになっています。

 1991年(平成3年)、最初に「放射部」が「都営12号線」として開業したのち、2000年(平成12年)に「環状部」を入れた「都営大江戸線」がスタート。当時、路線名を公募したところ、第1位は「都庁線」。で、鉄道あるあるですがこういう場合公募第1位がそのまま採用されるわけではなく、最終的に「都営地下鉄12号線路線名称選考委員会」が公募が多い名称の中から選んだのは「東京環状線」。まあそれだとあまりにお役所すぎると思ったのか、同時に「ゆめもぐら」という愛称がつけられます(地下深いから「もぐら」。そこに「ゆめ」をつけるあたりは、20世紀末当時のネーミングの流行りを感じさせます)。

 しかし事態は再び思わぬ方向に。当時の都知事であった石原慎太郎氏の「これのどこが環状線なんだ!」という一喝により、氏は「大江戸線」の名称を提案。「そもそも歴史的に新宿エリアは江戸じゃない」など識者の異論もありつつ、最終的には委員会の多数決で「大江戸線」に決定しました。

 開業前からいろんな大人の事情に翻弄された大江戸線も、開業からまもなく四半世紀を迎える立派な「大人」に成長。世が世なら、もしかしたら「ゆめもぐら」だったかもしれない彼は、今も都心深くを忙しそうに駆け抜けています。

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日々徒然に、書いていけたらと思います。

好きなものは鉄道(乗り鉄)と大相撲、ときどき料理です。
宜しければリュクスな立ち話の寄り道にぜひ。

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