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紛うことなき、王道。~相撲部屋「看板」紀行 其の18 伊勢ノ海部屋

アバター画像2023.06.11 12:00

 大相撲の番付表に代表される、俗に言う「相撲字」と呼ばれる独特のフォント。

 白地に極太黒太字の毛筆書体が特徴で、これには古くからお客さんがいっぱい入ってほしいという願いを込められているのだそうです。そして「相撲字」は基本、土俵上で取組を裁く「行司」さんが書いているものを指すのですが、彼らは入門すると徹底的にこの相撲字の「習字」を仕込まれるそうで、重要な仕事のひとつとなっています。

 となると相撲部屋の「看板」にも当然この「相撲字」が使われている・・・と思いがちですが、これまでの連載で触れているとおり、意外にも純粋な相撲字で揮毫された看板は少数派です。そんな中、江戸時代(確認されている限りでも、なんと1757年には存在していたとか!)からその名が続く名門中の名門、「伊勢ノ海部屋(いせのうみべや)」の看板は、数少ない超王道の「相撲字」によるもの。

 揮毫したのは、かつて同部屋に所属していた行司、34代木村庄之助の伊藤勝治氏。時期的には先代師匠の11代伊勢ノ海(元関脇・藤ノ川)時代、彼が幕内格行司の頃、と言われているので、11代式守与太夫を名乗っていた1990年代後半あたりに書かれたものではないかと推察されます。経緯はともあれ、これぞ「お手本」と言える、惚れ惚れするような完成度! 板材の風合いも、経年変化しても文字がしっかり判別できるような明るすぎず暗すぎず丁度良いもので、長い歴史を積み重ねてきた名門部屋には相応しいものに仕上がっているのではないでしょうか。

 江戸時代から続く部屋、とあって、所属する力士の四股名も「勢(いきおい)」や「錦木(にしきぎ)」など当時から継承されてきた伝統あるものが多く、そんなところも他の相撲部屋とは一線を画すところ。先日、大関に昇進した霧馬山が師匠の四股名「霧島」に改名したことが大きな話題になりましたが、伊勢ノ海部屋での最高峰の出世名、ゴールは「柏戸(かしわど)」とされています。しかし第47代横綱の11代柏戸以降、その名を名乗るに相応しい力士はもう半世紀以上あらわれていません。果たして今の弟子の中から12代柏戸を襲名する力士が出るのか、はたまた落合改め伯桜鵬や大ノ里のようなビッグルーキーが一気に、なんてことも・・・?

 長い歴史があるからこそ、そんな壮大なストーリーを愉しめるのも、相撲ファンの醍醐味のひとつですね。

相撲部屋「看板」紀行
其の18 伊勢ノ海部屋(東京・千石)

文京区唯一の相撲部屋、として伊勢ノ海部屋がこの看板とともに現在の場所に移転してきたのは2012年のこと。もとは、その前年に部屋を継承した現師匠、12代伊勢ノ海(元前頭・北勝鬨)の奥さんの自宅マンション(さらにその前は蕎麦屋だった)を改築して相撲部屋にしたのだそう。

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日々徒然に、書いていけたらと思います。

好きなものは鉄道(乗り鉄)と大相撲、ときどき料理です。
宜しければリュクスな立ち話の寄り道にぜひ。

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