大相撲の力士は「四股名(しこな)」というものを名乗ります。
あえて俗っぽく例えるなら、プロレスラーのリングネームであり、芸能人の芸名であり、つまりは大相撲の世界における「通り名」としての意味合いがあるのですが、その命名・改名には様々な思いが込められ、あるときは師匠の想いを背負い、あるときは縁起をかつぎ、と古くから物語には事欠きません。
大相撲の歴史の長さからいっても、過去の四股名まで遡るにはいささか役不足が過ぎるので、SONANOブログではあくまで「令和」に絞り、思わず「SONANO?」となる「四股名にまつわるエトセトラ」を不定期でご紹介していけたらと思っています。
記念すべき第1回は、さる五月の大相撲夏場所で見事復活優勝を遂げた、現役唯一の横綱・照ノ富士春雄(てるのふじ はるお)関です。
入門時は元横綱・2代目若乃花が師匠を務める間垣部屋だったこともあり、最初の四股名は「若三勝(わかみしょう)」。師匠がかつて名乗っていた「若三杉(わかみすぎ)」という四股名にちなみ命名されたのですが、若手時代から「三勝(幕下以下は七番相撲なので「四勝以上」で勝ち越し)ってのはどうなんだ?」という声がささやかれており、そのせいというワケでもないのでしょうが、その素質の高さに比してやや伸び悩んでおりました。
その後、現師匠である元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱部屋に移籍したのを機に、めきめきと成長(一説には現師匠がめちゃくちゃ厳しかったから、という説も)を遂げ、新十両昇進を機に四股名を「照ノ富士」に改名。師匠から「富士」を、そしてかつて伊勢ヶ濱部屋の名横綱・照國の「照」の字をそれぞれ貰い、彼は二人の横綱の名を一気に背負うことになります。その後、大怪我などを経て苦難の道を歩んだものの、今や令和の大相撲を牽引する名横綱に。四股名に負けない実績を成し遂げています。
ちなみに昨年誕生したばかりの愛息の名は「照務甚(てむじん)」くん。父が受け継いだ偉大な「照」の一字をその名に背負い、新たな物語が始まっています。