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十年越しの想いをのせて。~相撲部屋「看板」紀行 其の24 大島部屋

アバター画像2023.07.30 12:00

 相撲部屋の「看板」は、特に壮大な大河ドラマを紡ぎ出します。

 今回ご紹介する「大島部屋(おおしまべや)」の看板も、近年そんなドラマチックな展開を迎えた部屋のひとつです。

 1980年に2代大島(元大関・旭國)が分家独立して創設。なかなかに年季の入ったこの看板も、その当時に行司の10代式守与太夫が揮毫したもので、見事な王道の「相撲字」で書かれています。その後は横綱・旭富士(現・伊勢ヶ濱親方)をはじめ数多くの名力士を輩出。1992年に「モンゴル人の新弟子6人」を迎え入れたことは、のちの朝青龍、白鵬、そして照ノ富士らに続くモンゴル出身力士の全盛時代のきっかけとなりました。そのうちの数人はのちに部屋から脱走してモンゴル大使館に駆け込む・・・という事件を起こすのですが、何を隠そうそのうちのひとりが現師匠の6代大島(元関脇・旭天鵬)!

 師匠から「将来、相撲界はモンゴル人の時代になる」と説得され(この師匠の先見の明も恐るべしですが)、結果、部屋に戻った旭天鵬。その後は稽古と日本に馴染むための努力を続け、2004年にはモンゴル出身力士としては初めて「日本に帰化」。師匠と同じ苗字をもらい「太田 勝」さんとなった彼は、日本人として将来「親方」になる資格を得ることになりました。2012年に2代大島が65歳の停年を迎える頃は旭天鵬も37歳。そのまま部屋を継承する・・・と思われていたのですが、ここで運命のいたずらが。

 旭天鵬は37歳になっても引退どころか全盛期を更新し続け、むしろ「強く」なっていたのです。現役を続けるのであれば、親方にはなれないのが決まり。皮肉にも彼の強さが「大島部屋閉鎖」という結果を招き(もちろん双方了承のうえですが)、2代大島の弟子たちは4月に友綱部屋へと移籍します。さらに、その1カ月後の夏場所、旭天鵬はなんと昭和以降最年長で「初優勝」してしまいます! なんというドラマチックな展開・・・!!

 そして2017年に旭天鵬は現役を引退し、3年遅れで「4代大島」を襲名。その後すぐに停年を迎えた10代友綱(元関脇・魁輝)から友綱部屋を継承、モンゴル出身初の師匠となる「11代友綱」となります(10代友綱は5代大島に)。誰もが「大島部屋の再興はもうないのか・・・」と諦めていたのですが、2022年2月に今度は5代大島と11代友綱が名跡を「再交換」。このあたりは相撲界独特の文化といいますか、非常にややこしい限りなのですが、ともあれ、改めて部屋の師匠として「6代大島」となった元・旭天鵬の手により、実に10年ぶりに「大島部屋」が再興されたのです。

 そして大島部屋の再興にあたり、土地や建物は旧友綱部屋のものをそのまま使用しているのですが、10年前に外したこの「看板」だけは、かつての大島部屋のものが復活することになりました。旧大島部屋の閉鎖後は2代大島が手元に所有していたのですが、6代大島が自ら「使わせてほしい」とお願いしたのだとか。きっと10年越しの想いもあったのではないかと、いちファンとしては思ったり。

 約40年の時を超え、今また新たな師匠のもとでよみがえった大島部屋の看板。

 きっとこれからも、連綿と続いていく部屋の物語とともに歩んでいくことでしょう。

相撲部屋「看板」紀行
其の24 大島部屋(東京・押上)

スカイツリーを背にして佇む大島部屋だが、2023年10月には葛飾区青砥に移転予定となっている(この看板もきっと一緒に)。ちなみに2012年の2代大島停年時には「白鵬の所属する宮城野部屋と合併する案もあった」と当時の日本経済新聞が報じている。もし実現していたら、また歴史は変わっていたのかもしれない。。。

 

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日々徒然に、書いていけたらと思います。

好きなものは鉄道(乗り鉄)と大相撲、ときどき料理です。
宜しければリュクスな立ち話の寄り道にぜひ。

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