「藤島部屋(ふじしまべや)」という名称、往年の相撲ファンならずとも、1990年代前半の大相撲ブームにリアルタイムで触れた経験のある方は一度は耳にしたことがあるのでは?? そうです、かつて若花田(のちの横綱・若乃花)と貴花田(のちの横綱・貴乃花)の兄弟が、父である元大関・貴ノ花が師匠を務める「藤島部屋」に入門した、あの相撲部屋の名前です。彼らが入門する際、同じ建物の3・4階にあった自宅から、1・2階の藤島部屋に「引越し」をする姿が幾度となくワイドショーの映像として流れていたので、そんなところでも多くの人の記憶の片隅に残っているのではないでしょうか。
さて、本日ご紹介する藤島部屋は、名前こそ同じですがまったく別の相撲部屋。平成初期から中期にかけ、「平成の怪物」として脚光を浴びた元大関・武双山の18代藤島が師匠を務めています。もともとこの建物自体が、18代藤島の師匠であった14代武蔵川(元横綱・三重ノ海)が興した「武蔵川部屋」として1989年に新築されたもの。14代武蔵川の停年を受け、愛弟子であった18代藤島が2010年に継承、建物はそのままに名称だけ「藤島部屋」と改称されました。
というわけで看板についても、その名称変更時に架け替えられたもの(と推測されます)。
相撲部屋の看板としては王道的な一枚板に、流麗な筆致で描かれた(彫られた)文字。奇を衒うことのないストレートな表現が、現役時代にはどんなに怪我をしても立ち会いの変化などを一切せず「真っ向勝負」を貫き続けた相撲っぷり、そして部屋の師匠になった今も変わらぬその武骨な佇まいを彷彿とさせます。揮毫した人物についてはまったく情報がなく、辛うじて「宗務総長盛熙(でしょうか?)」とも読める名が看板下部分に刻まれていますが、それ以外は定かではありません。藤島部屋も(最近の相撲部屋では珍しく)公式ホームページもないので、何かと情報不足。。まあ、そういう「あえて語らず」なところも武双山っぽいなーと往時に想いを馳せて考えたり。
藤島部屋への改称時には「(若貴時代の藤島部屋がかつてあった)中野から引っ越したんですか?」などと勘違いされることもあったそうですが、あれから10年以上が経ち、土俵内外で世代交代が進む中、「藤島と言えば元大関・武双山の部屋」というイメージがしっかりと定着してきたように思います。
派手なアピールはせず、黙して語らず新たな藤島部屋を確立してきた当代。かつて平成の怪物と呼ばれた元大関は、今となってはどこか昭和の男の薫りをも漂わせつつ、今日も愛弟子の育成に励んでいます。
相撲部屋「看板」紀行
其の28 藤島部屋(東京・日暮里)
現役時代「真っ向勝負」を貫いた18代藤島は今や将来の理事長候補のひとりとも。ちなみに平成後期あたりから引退後にスキンヘッドになる親方が増えたが、記憶する限りではその先駆け的存在となった人物。審判部副部長という職責から正面の審判長として土俵下に座ることも多く、テレビ中継で映るその後ろ姿がSNSで話題に。