気の向くまま、まったり続けていたこの相撲部屋「看板」紀行も気づけば今回で30回目。令和5年10月末現在で、相撲部屋は全部で44。そのうち東京都内にある部屋の数は今回を入れて残り7。というわけで数字上は「東京篇」のラストスパート、といった趣ですが・・・これまでの相撲部屋は両国近辺など比較的ある程度のエリアに密集していることも多かったのですが、ここからはそれぞれに距離が結構離れている部屋が多く、なかなかゴールまでは時間を要しそうです。。
さて、前置きが長くなりました。本題にうつりまして、記念すべき30枚目の「看板」は、元大関・雅山の14代二子山が師匠を務める「二子山部屋(ふたごやまべや)」。先日の藤島部屋と同じくある世代にとっては「若貴兄弟の部屋」というイメージが強いかもしれませんが、当代はまったくそのラインとはかかわりない新興部屋のひとつ、となります。
以前部屋を構えていた所沢から2021年に引っ越してきたばかりですが、看板もそのままお引越し。ちなみに建物はかつて旧・東関部屋があった施設をそのまま受け継いでいます(その経緯については後述)。
看板を揮毫したのは、書家の大原蒼龍氏。躍動感のある、流麗で力強い筆致は、新興部屋に相応しい生命力に満ちたものに仕上がっているのではないでしょうか。ところどころに残る「飛沫」の跡も、勢いを感じさせる見事なアクセント効果を発揮。崩していてもしっかりと読みやすく、これはまさに書家系相撲部屋「看板」の王道を往くものと言えるかと思います。
また近くで見ると、文字の細やかな擦れ具合もしっかりと再現されており、より一層「書」としてのダイナミズムを肌で感じ取ることができます。
訪れたのは日没後だったのですが、看板周りは綺麗にライトアップされており、なんとも上品な佇まい。静寂の中に、この躍動感ある文字が絶妙なコントラストを生み出しています。
ちなみに部屋頭は、まさに明後日の九州場所番付発表で「新入幕」の期待が高まる、ロシア出身の狼雅(ろうが)関。独立からまだ5年ほど。その看板の躍動感そのままに、ますます勢いに乗る新・二子山部屋の今後に期待が高まる一方です。
相撲部屋「看板」紀行
其の30 二子山部屋(東京・柴又)
独立時は部屋を埼玉県・所沢に構えていたが、のち移転。その経緯には、かつてこの地に相撲部屋を構えていた13代東関(元前頭・潮丸)の存在が大きく、志半ばで急逝した友の遺志をこの地で継ぐ・・・という想いもあってのことのようです。葛飾区の町興しへの貢献も、そのひとつとか。