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漢・境川、此処に在り。~相撲部屋「看板」紀行 其の31 境川部屋

アバター画像2023.11.04 12:00

 大相撲と一般的なプロスポーツの大きな違いのひとつに、師弟関係の妙があります。個人競技なのに力士はすべて「相撲部屋」というチームに所属しており、一度入門すれば(師匠交替などの場合を除き)原則移籍は認められません。そこで皆が寝食を供にし、共同生活を行いながら稽古に励む――その姿は相撲部屋が「家族」に例えられる所以であり、そして監督あるいはコーチと選手、という関係性と異なり、大相撲では師匠と弟子は「疑似的な親子関係」のようでもあります。

 とはいえ、時代の変化とともにその「まるで親子のような師弟関係」の濃度も年々薄れてきている印象。最近ではどちらかというと他のスポーツのように「コーチ」的な指導方針を敢えてとる親方衆も少なくありません。

 そんな中において、ある意味で「昭和の薫り」を強く残す相撲部屋、そして師匠がいます。それが今回ご紹介する「境川部屋(さかいがわべや)」、師匠を務めるのは元小結・両国の13代境川親方。

 誰が呼んだか、その名も「漢(おとこ)・境川」。彼の師匠(親父)としての「熱血」エピソードは数多く、詳しくはぜひネット等で検索いただきたいのですが、よく知られている有名な話だけあげても、

・部屋の旅行でサイパン島を訪れた際、旧日本兵の慰霊碑が汚されている惨状を見て激昂。旅行の日程を中止して若い衆と汗だくになりながら掃除をした
・ロス巡業で現地の作業員があまりにいい加減だったので、全員を集めて「日本は戦争に負けたが、魂までは負けたわけじゃない!」と怒鳴りつけた
・ある日部屋の目の前の川で女性が溺れており若い衆に救助に向かわせた。マスコミが取材に訪れるが境川は女性のことを気遣い「そっとしておいてあげてほしい」と多くを語らなかった
・愛弟子の豪栄道が大関昇進を決めた日、境川の誕生日でもあったので関係者が気を利かせケーキを用意するも「やめろ!今日は豪太郎(豪栄道の本名)の日や!」と固辞した
・自分を育ててくれたかつての師匠(元横綱・佐田の山)を「あの人こそ男の中の男」と今でも敬い、部屋の稽古場にある木札(所属している親方や力士の名が記されており、普通なら先頭に師匠の名がくる)の最上位には自分ではなく「佐田の山」。そして部屋の功労者(「吉の谷」「出羽嵐」)の名が続き、境川の木札はそのあとの4番目に掲げられている

 などなど・・・。黙して語らずな親方なので、さらに明かされていないエピソードが隠されていることでしょう。

 そんな師匠の部屋らしく、門構えからまさに威風堂々。部屋の綱領にも掲げられている「武士道」の言葉に相応しい佇まいです。そして部屋の看板は、かつて師匠が所属していた出羽海部屋の行司・第30代木村庄之助によるもの。長く番付の字も担当した「相撲字の名人」とも謳われた人物で、まさにお手本のような力強い王道の相撲字で記されています。

 かつて自分が仰ぎ見た師匠のように、弟子たちからも「男の中の男」と慕われており、そしてその彼らは親父の背中を見て怪我の言い訳を一切しない、とも言われています。令和の時代に今もこんな相撲部屋が存在するのかという驚きと同時に、色々あっても境川部屋が在ればまだまだ相撲界は大丈夫だ・・・そんなふうにも思わせてくれる存在です。

相撲部屋「看板」紀行
其の31 境川部屋(東京・見沼代親水公園)

日暮里・舎人ライナーの終着駅に部屋を構え、目の前にはエピソードにも出た毛長川が流れている。当代は1992年に現役引退後、12代中立を襲名し、1998年には所属していた出羽海部屋から分家独立し「中立部屋」を立ち上げ。その後、2003年に師匠(元横綱・佐田の山)と名跡交換するかたちで部屋の名も「境川部屋」に改称。現在は相撲協会で理事の要職にもついている。

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日々徒然に、書いていけたらと思います。

好きなものは鉄道(乗り鉄)と大相撲、ときどき料理です。
宜しければリュクスな立ち話の寄り道にぜひ。

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