昨日の翠富士関に続き、同じ伊勢ヶ濱部屋所属であり、強豪・近畿大学相撲部の同期でもある、「錦富士(にしきふじ)」関。
その四股名の由来は、彼の入門時のエピソードに隠されています。近大相撲部を中退して相撲界入りを果たした際、その決め手になったのはやがて師匠となる同郷青森の先輩・伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)による熱心なスカウト活動、そしてさらに同郷・同部屋の先輩力士であり高校時代の恩師とも繋がりのあった、関脇・安美錦(当時。現・安治川親方)の存在が大きかったと言われています。となるとその四股名も、旭富士の「富士」、そして安美錦の「錦」からとられたものであり、入門後は安美錦が引退するまで付け人も務めています。
さまざまな「縁」が結びついて名づけられたその四股名ですが、「富士」も「錦」も古くから力士の四股名として使われることの多い二字(かつて富士錦という名力士もいた)なので、ある意味「令和」感は薄めなのですが、逆に今の時代には新鮮に映る「昔ながらのおすもうさんらしい四股名」とも言えるのではないでしょうか。
四股名の通り、その佇まいも実に「おすもうさん」らしい錦富士関。九州場所では幕尻まで番付を下げ、今場所は幕内残留にはギリギリの地位にあります。果たして幕内力士として新年を迎えることができるのか(あるいはそれ以上の成績をあげるのか!?)、千秋楽の相撲まで目が離せません。