カテゴリー

- blog


タグ

- fashion

- blog

  • インスタボタン
  • Twitterボタン

巡り巡って、復興。~相撲部屋「看板」紀行 其の33 放駒部屋

アバター画像2023.11.20 12:00

 新興住宅街の一角に建つ、真新しい三階建ての建物。それが今回訪れた「放駒部屋(はなれごまべや)」です。

 掲げられている看板は実にオーソドックス。ある意味、非常に基本に忠実なデザインと言えるかもしれません。2022年4月に新築されたばかり、かつ現在の師匠である18代放駒(元関脇・玉乃島)が部屋を発足したのも2021年12月とのことで、当然ながら看板もまだピッカピカです。残念ながら現時点では揮毫した人物は明らかになっていないのですが、放駒部屋の前身である旧・二所ノ関部屋が誕生した際には所属する行司の12代式守錦太夫が筆をとっており、おそらく今回も彼の一筆なのではないかと推測されます。

 この放駒部屋も誕生までは実に紆余曲折。ことは今から40年以上前の1981年まで遡ります。同年、「休場は試合放棄と同じ」の名言を残し「クリーン大関」として角界随一の人格者と言われた元大関・魁傑の17代放駒が、花籠部屋から分家独立し阿佐ヶ谷に「放駒部屋」を創設します。そして1987年には同じ二所ノ関一門の人気大関だった若嶋津が現役引退、9代松ヶ根として1990年にこちらも二子山部屋から分家独立して千葉県船橋市に「松ヶ根部屋」を立ち上げました。

 やがて時は経ち、2013年に17代放駒の停年退職とともに「放駒部屋」は一旦閉鎖されます。同じ年、二所ノ関一門の総帥であった10代二所ノ関も停年となり「二所ノ関部屋」も閉鎖されることに。角界を代表する名門の閉鎖に界隈は騒然としますが、翌年には片男波部屋から松ヶ根部屋に移籍してきた11代二所ノ関(元前頭・玉力道)と9代松ヶ根が名跡交換、「松ヶ根部屋」は「二所ノ関部屋」と名を改めました。ちなみにこのとき、一緒に移籍してきたのが当代の18代放駒になります。

 さらに2021年、今度は12代二所ノ関となっていた元大関・若嶋津が停年を迎えます。そのとき、部屋はそのまま18代放駒が継承しますが、「(13代)二所ノ関」の名跡だけは16代荒磯として既に荒磯部屋を開設していた元横綱・稀勢の里が継承することに。これには一門の総帥部屋の名を、将来を嘱望される若き元横綱に託す・・・という意味合いもあったのでしょう。こうして荒磯部屋は二所ノ関部屋に、二所ノ関部屋は放駒部屋にそれぞれ改称、ここに2013年以来となる「放駒部屋」が復興されることとなりました。うーん、こうして文章に起こしてみると、改めてめちゃくちゃ複雑だ・・・!

 ともあれ、2021年に新たな師匠を迎え再スタートした「新・放駒部屋」はやがて千葉県船橋市から現在の東京都足立区六町に移転。前述のとおり、新築の相撲部屋、そして新装された看板で、新たな物語を紡ぎ出しはじめています。

相撲部屋「看板」紀行
其の33 放駒部屋(東京・六町)

現在、相撲協会で審判部に所属する18代放駒は本場所中土俵下で勝負審判を務めているが、テレビ中継で映るその姿に視聴者は騒然。現役時代は162Kgあった身体はなんと90Kgほどにまで激減しており、ダイエット大成功なのだが、顔立ちもガラッと変わっているので相撲ファンでも名前を言われてはじめて気づいたという人も多々。詳細はウェブ検索、もしくはNHKの大相撲中継にて。

 

 

アバター画像

日々徒然に、書いていけたらと思います。

好きなものは鉄道(乗り鉄)と大相撲、ときどき料理です。
宜しければリュクスな立ち話の寄り道にぜひ。

関連カテゴリ記事

カテゴリー

- blog


タグ

- fashion

- blog