110年ぶりの新入幕優勝か、はたまた史上初の「ざんばら髪」優勝か。
令和6年大相撲春場所の千秋楽は、そんな全相撲ファン「究極の二択」で大いに盛り上がり、結果的には前者、尊富士(たけるふじ)の初優勝で幕を閉じました。彼の成し遂げた事のすごさは、いずれどこかで当ブログでも改めて…と思うのですが、今回注目したいのはもう一方の力士。
大の里(おおのさと)関。
あの元横綱・稀勢の里の弟子であり、1年前まで大学生だったにもかかわらず、付け出しとは言え初土俵からわずか5場所で幕内最高優勝まであと一歩に迫るという、末恐ろしいまでのビッグルーキー! そして来場所はもう三役昇進が確実と言われています。現在の番付構造上、尊富士が三役に上がるにはどう大勝ちしてもあと1、2場所は必要なので、その間にイッキに大関まで…なんていう想像も膨らみますが、彼の今の勢いなら充分に現実的です。
四股名の由来は、大正時代の名大関で、同じ二所ノ関部屋だった「大ノ里萬助」から。当代の二所ノ関(つまり元横綱・稀勢の里)は、個人的に四股名の付け方の上手さでは、今の親方衆の中では一番ではないかと思っています(現在十両の高橋改め「白熊」関のネーミングセンスはまさに!)。その親方秘蔵の四股名であり、今後の相撲界を背負って立つであろう大器にこそふさわしい、スケールの大きい、そして非常に「おすもうさん」らしい四股名ではないでしょうか。
さて今回の両若手のデッドヒートにより、マスコミの一部では早くも「大尊(あるいは尊大)時代」の到来か?なんて言われています(なんとも気の早いことですが、それだけ衝撃的な出来事でした)。ちなみに大相撲の世界では、強い横綱が両雄並び立つ時代には「栃若(栃錦と初代若乃花)」「柏鵬(柏戸と大鵬)」「輪湖(輪島と北の湖)」「曙貴(曙と貴乃花)」というように四股名から一字とって組み合わせて呼ぶのが、いつの間にやらひとつの伝統となっています。
平成の「曙貴(あけたか)」以降、朝青龍→白鵬と、一強の時代が長く続いていることからとんと使われなくなったのですが(その間、「青白(朝青龍と白鵬)時代」は両者の全盛期が微妙にズレたこと、また「照逸(照ノ富士と逸ノ城)時代」はふたりの怪我や不調により、定着せず)、久しぶりに復活する日も近いかもしれません。